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2006年4月12日 (水)

チチカステナンゴの市

54chichicastenangoアンティグアから車で約4時間のチチカステナンゴへ。

アンティグアを歩けば旅行代理店がそこかしこにある。ツアーもあれば、国内の観光地行きシャトルバスもある。明日行きたい!という場合でも、空いていればその場で申し込めるし、当日宿の前まで迎えに来てくれるのでとても便利だ。

53chichicastenango 毎週木曜日に大きな市が立つ。チチカステナンゴに到着するとすでにお昼だったので、さっそく食事をすることに。ここではサルサやメレンゲなどの音楽が流れていて、とても懐かしい感じがした。そういえば、アンティグアに到着してからこういう音楽を耳にしていなかった。そうそうこんな感じ!!7年前のグァテマラはどこ行ってもこんな感じやった!田舎は当時のままなんや。と、ちょっと嬉しくなった。

55chichicastenango滞在時間は2時間ほど。とにかく市の中をどんどん歩くことに。ここは土産物用のものばかりでなく、地元の人の生活必需品や食料も売っている。えらい虫がブンブン飛んでるなぁ、と近づくとハチミツの取引をしていたり、鶏や七面鳥などは生きたまま連れて帰って家でさばくようだ。ドナドナド~ナ~のメロディが頭に浮かぶ。

56chichicastenango_2 民族衣装があふれていて、生活感もあふれている。それを感じるのがとても新鮮だった。観光用のショーではない、これは彼らの日常生活の一部なのだ。たくさん写真を撮りたいが、インディヘナ(先住民)は写真を撮られるのを非常に嫌がる。ここはカメラを構えず、ノーファインダーでさりげなくシャッターを押すことにした。初めての試みでうまく被写体を捉えられなかったもの多数。でも自然な感じが撮れたかな。

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2006年4月10日 (月)

シンジ久しぶり~!

52shinji アンティグアの時計台近くで懐かしい人発見!

絵描きをしているシンジ(グァテマラ人)に会ったのだ。7年ぶりなので正直何を見ても懐かしいが、当時日本人の友達がこの時計台近くで絵を描いていて仲良くなり、谷村新司に似ているから「シンジ」と呼んでいた。なのでなんとなく親しみ深かった人物。

通りを横断して「オラ(こんにちは)!!」と声をかけると「やぁ!シホじゃないか!!」と返ってきた。覚えていてくれたなんて感激!!でも、ごめん。私はシンジと呼んでいたので、名前を思い出せません。正直に告白し、ちゃんと本名も教えてもらった。昔に比べて絵を描いてる人は減ったのかなぁ?シンジも本職というわけではなく、観光客の多いシーズンだけここで絵を描きながら売っているようだ。しばらく昔話や近況等の話に華を咲かせた。

また10年後、20年後なんかにアンティグアを訪れ、シンジとここで再会する、というのも楽しいな。と思った。

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2006年4月 9日 (日)

織物博物館

50museoアンティグアの町の北西はずれにある織物博物館へ

ここにはあらゆる民族のウィピルが展示してある。入場料5ケツァル($1=Q7.5)と格安な上に英語かスペイン語で説明もしてくれる。民族によって衣装だけでなく風習も違うが、それらを丁寧に説明してくれた。興味深い内容だった。

ある村では、嫁入り前に半年かけて織ったものを結婚式に姑が着てお披露目するらしい。うちにはこんなに織物のできる嫁が来たのだ!というアピールだと思うけど、それってある意味プレッシャー…。その他、今はもうすたれてしまった折柄のウィピルも展示されていた。

51museoひと通り説明を終えると、ウィピルを着ませんか?と聞かれた。着付けしてもらってQ10らしい。そういや昔、母親やおばさんを連れて来たときは一杯買い物をしたので、サービスで着せてくれたっけ。友達は着ることにしたが、私は以前着たことがあるので結構です、と断ると、じゃサービスで着せてあげる、とのこと。ラッキー。通訳の甲斐がありました。

いらんと言ったわりに、台所に立って写真を撮ったりと存分に楽しませてもらった。

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アルフォンブラ

42alfombra_1アンティグアのセマナサンタはアルフォンブラが有名。

町の人たちは、プロセシオンが通る道中にオガクズや草花を使ってアルフォンブラ(じゅうたん)を作る。色鮮やかなじゅうたんが町中に作られるのだ。どんなに美しくてもプロセシオンが上を通過するまでの運命。なんだかもったいない!!




43alfombra こちらは制作中。型紙を使い着色したオガクズでいろいろな図柄を描いていく。ラテンの人は大ざっぱな印象があるが(失礼)、アルフォンブラ作りは細やかで根気のいる作業だ。




48alfombraあるスペイン語学校の生徒たちが作成したアルフォンブラ。この学校は私が滞在していた7年前も作っていた。毎年恒例のようだ。家族単位で作る場合は自分の家の前に敷く。ものすごく長いアルフォンブラもあるので、もしかして地域で作っているところもあるかもしれない。







44alfombraそしてその上をプロセシオンが通る。通過中は厳粛な雰囲気。初めてプロセシオンを見たとき、ホームステイしていたファミリアの7歳の娘とふざけてたら、そのお母さんにキツクしかられた…私ではなくその娘が。復活祭の意味を理解していませんでした。ごめんなさい。






45alfombraプロセシオンの後ろについて歩いている人たちは、アルフォンブラに使われていた花などを拾っている。捧げ物のお下がりというところだろうか。






46alfombraプロセシオンが通過した後。ちょっと無残な感じ…。











47alfombraプロセシオンからしばらく遅れてトンボを持ったおじさんたちが登場。通り上のアルフォンブラの残骸はこのように処理されていたのか!知らなかった。

それにしても息が合っている。

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2006年4月 8日 (土)

ほとばしってます

Fuente アンティグアの中央公園にある噴水。

上向きの噴水が中央にあり、その側に座って横向きの噴水担当。背中合わせで3人いらっしゃいます。

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町ブラな1日

32arco 今日は連れがマヤのティカル遺跡へ行ったので、1日フリーに。

ティカル遺跡は現在発掘されているマヤ遺跡の中で最大の規模。密林の中にいくつもの神殿が建っていて、非常に雰囲気のある遺跡だ。特に4号神殿の頂上から見る景色は最高で、眼下に延々と続くジャングルを見渡せ、神殿がところどころで頂上をのぞかせている。初めて見たときは感動した。地球上に同じような景色はないのではないだろうか?しかし、7年前に3回も行ってしまったので、今回はアンティグアの町を久しぶりにゆっくりブラつくことに。

36todossantos アンティグアはセマナサンタの期間中、海外はもちろん国内からも多くの観光客がやって来る。タンケ・ラ・ウニオン公園に腰掛けているのは、よその村からやって来たインディヘナ(先住民)たち。グァテマラには多くの先住民族が民族ごとに違う民族衣装を着て、またそれぞれ民族ごとに固有の言語を話している。ここの男性の衣装がカッコイイと私は思う。衣装を見ればどこの民族かわかるのだが…さてどこの衣装だったか…。

35lafuenteラ・フエンテ(噴水)というカフェに入ると中庭一面に色とりどりの民族衣装(ウイピル)が。グァテマラの織物はグァテマラレインボウと呼ばれ世界的にも有名だ。折柄は代々母から娘へ引き継がれ、その柄は民族によって異なる。このカフェでは毎週土曜日にウイピル市が開かれていて、お茶しながらのんびりウイピルを眺めることができるのだ。

34volcandeagua

今日は天気もよくアグア火山がすっきり見えた。

夜は7年前にスペイン語学校でスペイン語を教わっていた先生と晩御飯の予定。久々の再会が楽しみだ。

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2006年4月 7日 (金)

こどもみこし

39prosecionnino 十字架の丘から降りてくると、ちょうど子供たちの担ぐプロセシオンと遭遇。

セマナサンタ(復活祭)の期間中、町中にある教会ごとにプロセシオンが出る。十字架を背負って歩くイエスキリストの像を、苦悩の表情を浮かべ皆で担いで町中を練り歩くのだ。祭で担ぐといえば『みこし』をイメージするが、はたしてそのみこし部分をプロセシオンというのか、みこしを担いで行進することをプロセシオンというのか、また、みこしと訳すのが正しいのか、そのあたりはよく知らない。

40prosecionnino このプロセシオンが通る道の上に、オガクズや草花などで作ったアルフォンブラ(じゅうたん)を用意し、その上を通ってもらう。神様への捧げ物ということらしい。もうプロセシオンが近づいているというのに、こちらの家族はあわてて準備を始めたところだ。間に合うんやろか?と見ているとセニョーラに「助けてちょうだい!」と言われ、一生懸命石畳の道にとっても簡単な模様で並べた。

41prosecionnino なんとか間に合ってホッと一息。自分たちのアルフォンブラの上をプロセシオンが通る。それをドキドキしながら待った。

ありがとう、とお礼を言われたが、思いがけずアルフォンブラ作りのお手伝いをさせてもらって、かえってよい思い出になった。

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十字架の丘

30cruz アンティグアの町を一望できる十字架の丘へ。

町を一望できるだけあって観光スポットだが、よく強盗が出るという危険な場所でもある。運悪く命を奪われた人もいると聞いた。7年前にはなかったが、ツーリストポリスが毎日午前と午後に十字架の丘まで無料で連れて行ってくれるツアーがあると聞き、それを利用することに。今回は私達4人と外国人2人の計6人に引率の警官が2人とこじんまりしたツアーに。

31cruz 町は碁盤の目状に道が走っていて、十字架越しにはアグア火山が見られるというロケーション。町の標高が1500m程でアグア火山は約3600m。形はグァテマラ富士というだけあって(そう呼ぶのは日本人だけだが)美しい。カスミがかっていて頂上あたりが見えなかったのが残念。

とりあえずアホ写真を撮って十字架の丘を後にした。

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2006年4月 6日 (木)

懐かしのアンティグア

Demado6年ぶりのグァテマラ・アンティグアに到着!

グァテマラ入国後の初ショットがコレ。檻じゃありませんから。通りに面している家の出窓です。アンティグアは町全体が世界遺産に登録されていて、雰囲気もあり本当にいい町だ。

住んでいたのは1999~2000年。1年オープンのチケット片手に、スペイン語もできないままやって来た。当初NHKラジオ講座で勉強してから来るつもりだったが独学の悲しさ、4,5月分を聞いたあたりで行き詰まってしまった。う~ん、話せるようになってからなんて考えてたら、一生行けない。どうせ、現地で勉強するんだし、出発しちゃえ~!と旅立ったのだ。我ながら思い切った決断だった。

この時期アンティグアはセマナサンタ(復活祭)の真っ最中。世界各国からの観光客でホテルほぼ満室。今回は、スペイン語の勉強もかねて、以前お世話になっていたファミリアにホームステイさせてもらえることに。6年ぶりにファミリア宅の扉を開けると、そこには懐かしい笑顔が…。瞬間グッと胸に込み上げてくるものがあったが、こらえて皆とハグをした。

昨夜オアハカを出発してから21時間。この旅で一番長い移動が終わった。ただいま mi familia。

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緊張の国境越え

Elsar日本のような島国に住んでいると、憧れるのが陸路の国境越えだ。

初めての経験は1999年、グァテマラ→エルサルバドルの国境(写真)。しかしこれが半端じゃないほど怖かった。両替屋に囲まれるからだ。その両替屋の人物像が怪しい。競争が激しいようで目は必死だし服はボロい(中南米の田舎では普通のスタイル)イメージ的にはダフ屋に近いがコソコソせずに大っぴらにやっている。だいたい小さい国境には町も銀行もないので、必要最低限の両替をしておかなければバスにも乗れない。できれば一人での国境越えは避けたいところだ。危険かどうかよりも雰囲気が怖い!!

さて今回は、幸運にも旅の道連れが3人もいる。国境で両替屋が寄って来ることと、必要最低限の両替を必ずするように、ということを伝えて、いざ国境越え!!しかし、この国境はさらにハードだった。特にグァテマラ側。入国審査は小屋に窓口がある程度で、手続き中も屋外に並んでいる状態。大勢の両替屋が我先にとグルリ取り囲み、目の前に札束をちらつかせながら「カンビオ(両替)、カンビオ!!」の大合唱。あんな大勢にギャーギャー言われると訳がわからなくなって混乱してしまう。入国審査では払わなくてもいい入国税なるものを払わされた。グァテマラに入国税はないので、役人のおこづかいになるわけだ。こういうときは「領収書をください」というと引き下がると教えてもらっていたのに。あ~、混乱してうっかり払っちゃったじゃないか~!!もしかして両替屋と役人はグルかも…などと考えてしまう。

合唱に負けずに叫ぶ連れ。「なんでこの人らはこんなに寄って来はるの?何のために!?」混乱しながら的外れに答える私。「利ざや稼いではんねん!!」道連れの3人、初めての国境越えはかなり怖かった、と感想をもらしていた。慣れれば怖くないよ…きっと…たぶん。

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なまら北海道はエルサルバドルへ

Namara_1タパチュラのバスターミナルで日本語Tシャツを着ているガイジン発見。

その胸には「でぃすいず なまらほっかいどう」と書かれていた。なまらって何?外国によくあるテキトーな日本語Tシャツか?あんまり気になるので写真を撮らせてもらうと、思いがけず日本語が返ってきた。北海道に住んでいたことがあるカナダ人で、現在はエルサルバドル在住。「なまら」とは北海道弁で「本当に(とても)」という意味だと教えてもらった。

メキシコでカナダ人に北海道弁を教わるとは…。世界には面白い出会いがいっぱいだ。

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2006年4月 5日 (水)

モンテアルバン遺跡

25monte_3世界遺産のモンテアルバン遺跡へ。

モンテアルバンはオアハカから10km離れた山の上にある。同じ日本人宿に泊まってた大阪の女性2人組と遺跡へ向かうことに。4人いればバスよりタクシーの方が楽だ。タクシーを停め、いくら?と料金を聞くと、少し間があって80ペソという答え。一瞬考えたということはたいがい相場より高く取ろうとしているときだ。メキシコのタクシー運転手は分かりやすいなぁ。とりあえず軽く値切ってモンテアルバンへ!

Monte2

遺跡からの景色は最高。ここには踊る人のレリーフがたくさんある。腹を割き内臓を出して苦しむ奴隷の姿を描いたものだとか。他遺跡ではあまり見られないものだ。が、ここへ来て、少しばかり遺跡に飽きてきたような…。世界遺産を前に罰当たりな!と思うがこればっかりは仕方がない。自分の気持ちに正直に、サラッと回ってレストランでゆっくり時間を過ごした。

今晩は夜行バスでタパチュラへ向かう。タパチュラから国境を越えるバスに乗っていよいよ6年ぶりのグァテマラだ!!楽しみ。

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2006年4月 4日 (火)

エルトゥーレ周辺

20elture今日もうひとつの目的、エルトゥーレへ。

エルトゥーレにあるトゥーレの木は樹齢2000年以上、高さ42m、幹周り58mのアメリカ大陸最大だとか。これは見ておかなアカンやろぉ~、と期待していたが、実際見てみると特に感動することもなく「ふぅ~ん」の一言で終わってしまった。周りに柵があって近寄れないからかもしれない。

21chile_1

仕方がないのでその周辺をウロウロしてみる。店に入ると、ポテトチップスが売ってる棚にセットのようにチリが並んでいる。メキシコ人は辛いものが好きらしく、スナックにもチリという辛いソースをつけるようだ。もうひとつ気になったのはこのマネキン。下着を着けているのではない。と信じたい。民族衣装だろう。メキシコの民族衣装は白が基調で、隣のグァテマラのように色鮮やかなわけではないようだ。

22manekinそういう意味でメキシコでは欲しいお土産というのに出会えなかった。メキシカンハット買ってもなぁ~。バックパックで旅するにははかさばるし…。お土産物は次のグァテマラに期待。

 

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遥かなるヤグール遺跡

16yagulミトラ遺跡の帰り道にあるヤグール遺跡。

予定はしていなかったが、ふと気が向いて寄ることに。オアハカ行きのバスに乗り、ヤグールに行きたいと告げると、しばらく走って、何もないところで降ろされた。え!?どうしろっての?よく見るとYAGUL 2という看板…。幹線道路から横に一本道が伸びている。ここから2km先に遺跡があるらしい。タクシーやバスはおろか、車や人の気配のない道を炎天下歩く歩く。

17yagulひたすら歩いて最後の上り坂を登るとやっと入口に着いた。観光客の姿はなく、職員が2.3人いるだけだった。入場料を払おうとしたらあと1ペソ程足りない。先に入った友達に借りようと思ったら、もういいよ。と言われた。いいのか…。まずは遺跡を一望できる山の上に登る。遺跡の向こうには荒野が広がり、幹線道路、山が見える。おお~、この眺めは歩いてきたからこそ感動できるな~。と自分を慰める。

18yagulしかし、ここには遺跡マニアには見逃せない、マヤの球戯場があるのだ。しかも、中米でチェチェンイッツァーに次ぐ2番目の規模。だからお薦めか?是非行くべきか?と質問されると答えにつまる。2番目だがビックリするほど大きくない。遺跡が好きな人、時間が一杯ある人、人とは違うところが見たい、もしくは体験したいマニアックな人にはいいかもしれない。

19yagul

帰りもただただまっすぐに伸びる一本道を、バスが走る幹線道路までテクテク歩くのだ。体力のある人にお薦めしたい。

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ミトラ遺跡で踊る

15mitola_1細かいモザイク模様が独特のミトラ遺跡へ。

オアハカから車で約1時間半。日本人宿の人にコレクティーボと呼ばれる乗合タクシーが便利だと聞き、ミトラと行き先の書いてあるタクシーを探す。タクシーを停めると後ろの座席は先住民のぶっといおばちゃんとその荷物で既に一杯だった。すると運転手は前の座席に2人乗れ!と言う。乗合といっても普通のセダン型で、もちろん助手席は1人用。定員は運転手を含めどう考えても5人だ。無理やろうとは思ったが、友達と2人キャーキャー言いながら乗ろうと試みていると、後ろのおばちゃんが荷物を寄せて1人分スペースを空けてくれた。良かった…。

タクシーは時速110kmでぶっ飛ばし、バスやトラックなんかをガンガン追い越していく。コレクティーボはオアハカ~ミトラ間で1人20ペソ(約200円)。定員を乗せてしまうとそれ以上お客を乗せられないし、何回往復できるかが勝負なんだろう。おお~これはバスに比べて断然楽じゃないか。ノンストップだし。と思っていると、途中でもう1人先住民のおばちゃんを乗せることに。いよいよ前の座席に2人乗るときがきた。おばちゃんが小柄なのが救いだ。よく見ると運転席と助手席の間にクッションが詰めてある…。しかたなくクッションの上に片尻を乗せ、座席の後ろに手を回して体を支える。く、苦しい…。1時間半の道のりを1時間弱で到着。やっぱり速い。でも、コレクティーボに乗るなら後部座席がお薦めだ。

Mitolaganceミトラ遺跡のモザイク模様は彫ってあるのではなく、板状の部品を積み重ねてモザイク柄を構成し壁にしてある。見事な造りだ。平日の遺跡には観光客は少なく、小学生の校外学習と一緒になることが多い。引率の先生の説明を聞いていると、ミトラは他の遺跡と違い地中に埋もれたことがないらしい。黒く変色しているのは長年の雨による腐蝕だという。

誰もいなくなったところで、記念撮影を始める。普通に撮るのも面白くないからと、飛んだりはねたりしながら友達と撮り合った。というわけで何枚ものアホ写真があがった。まるで踊ってるみたい。

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2006年4月 3日 (月)

オアハカでダウン

13oaxaca_1グアナファトからシティ経由でオアハカへ。

夜行バスの中でそれはやってきた。お腹の調子がおかしい!!メキシコでは食あたりに要注意。生水は絶対ダメ。水はペットボトルのミネラルウォーターを飲み、歯磨きのときも念のため水道水は使わなかった。が、油断しがちなのがサラダだ。生野菜を洗うのは水道水なので、これにあたる人も少なくない。時間的に考えて、グァナファトを出発する前に食べた食事が原因に違いない。鳥の丸焼きに生キャベツが添えてあった。

そんな訳でオアハカに到着する頃はフラフラ。朝方に着いたので、明るくなるのを待って日本人宿にチェックインした。午前中はとにかくベットで横になり、午後から街に出てみたが、体はしんどいは頭もモウロウとして辛かった。しかもオアハカは暑い!!もうこれ以上はムリってとこで、宿に戻って休むことにした。食事に出る体力もなかったので、友達には他の日本人と食事に行ってもらった。

ここオアハカも世界遺産に登録されている街なのだが、体調のせいかイマイチ印象に残らなかった。

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2006年4月 1日 (土)

グァナファトの夜景

12guanafato メキシコシティからバスで5時間半

ここはソチミルコの船頭さんが、その夜景を絶賛していた世界遺産のグァナファトだ。夜景を見る!というのがひとつの目的だったが…、やってしまった。4時ごろ宿にチェックインし、「ちょっとゴロンしよっか~」とベットの上で横になって休んだら、起きられなくなってしまったのだ!!メキシコ到着直後の3日間でハリキリすぎたか?疲れのせいか金縛りにもあった。

やっと起き上がれたのは夜の11時!!よく考えたら夕方からこの時間帯は日本での睡眠時間。時差ボケなのに、夕方横になるなんてバカバカバカ!!さすがに夜中丘に登るのは危険なので、夜景はもう一泊延ばして明日の晩でもいいか。ということになった。とりあえず、夜の街をウロウロして、また寝た。

11beso 翌日は張り切って朝から街を歩き回る。口づけの小道、夜景を見るはずだったピピラの丘を見てしまうと、もう見るところがなくなってしまった。グァナファトは思ったよりもずっと小さい街のようだ。夜景見たさにもう一泊と思っていたが、予定通り街を出ることにした。そうと決まればチェックアウトの午後1時までに荷物をまとめなくてはいけない。バスの時間まで宿に預けて観光を続けることに。

1時ピッタリにフロントに行くと「今2時です」と言われた。「…ハ?」「今2時です」…え??どういうこと?と混乱していると、メキシコは4月からサマータイムを導入していることに気づいた!!!昨日から1時間時計が早くなっている。危なかった!!宿の人が教えてくれなかったら、バスに乗り遅れるところだ。

今日はシティへ戻り、そのままオアハカ行きの夜行バスに乗る予定。夜景は見れなかったけど、グァナファトは街並みもかわいらしい雰囲気のいい街だった。

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